『中国行きのスロウ・ボート』の名言や心に響く言葉
村上春樹の短編小説『中国行きのスロウ・ボート』に収められた名言。
僕の記憶力はひどく不確かである。それはあまりにも不確かなので、ときどきその不確かさによって僕は誰かに向って何かを証明しているんじゃないかという気がすることさえある。
『中国行きのスロウ・ボート』 「僕」の名言
中国と日本は、言うなればお隣り同士の国です。みんなが仲良く生きていくためにはお隣同士が仲良くしなくてはいけない。そうですね?
『中国行きのスロウ・ボート』 最初の中国人(中国人教師)の名言
どんなに仲の良い友だちでも、やはりわかってもらえないこともある。そうですね?わたくしたち二つの国のあいだでもそれは同じです。でも努力さえすれば、わたくしたちはきっと仲良くなれる、わたくしはそう信じています。でも、そのためには、まずわたくしたちはお互いを尊敬しあわねばなりません。
『中国行きのスロウ・ボート』 最初の中国人(中国人教師)の名言
いいですか、顔を上げて胸をはりなさい。そして誇りを持ちなさい。
『中国行きのスロウ・ボート』 最初の中国人(中国人教師)の名言
個人の個体性の奇妙さというのは、あらゆるカテゴリーや一般論を超えている。
『中国行きのスロウ・ボート』 「僕」の名言
少なくとも何かをするのなら、熱心にやるだけの価値はある。
『中国行きのスロウ・ボート』 「僕」の名言
女の子が早く帰るって言うたびに腹を立ててちゃ身が持たないよ。
『中国行きのスロウ・ボート』 「僕」の名言
たしかに僕は君のことを殆んど何も知らない。でもね、もっと知りたいと思う。それにもっと君のことを知れば、もっと君を好きになれそうな気がするんだ。
『中国行きのスロウ・ボート』 「僕」の名言
約束はできない。でも努力するよ。それに、もっと正直になりたいと思う。
『中国行きのスロウ・ボート』 「僕」の名言
幾つかの希望を焼き捨て、幾つかの苦しみを分厚いセーターにくるんで土に埋めた。
『中国行きのスロウ・ボート』 「僕」の名言
どうにも忘れようとすればするほど、ますますいろんなことを思い出してくるんだよ。
『中国行きのスロウ・ボート』 三人めの中国人の名言
余りにも多くの水が橋の下を流れた。
『中国行きのスロウ・ボート』 三人めの中国人の名言
共に同じ天を仰ぐ。
『中国行きのスロウ・ボート』 三人めの中国人の名言
僕の中国は僕のための中国でしかない。あるいは僕自身である。それはまた僕自身のニューヨークであり、僕自身のための中国でしかない。あるいは僕自身である。それはまた僕自身のニューヨークであり、僕自身のペテルスブルグであり、僕自身の地球であり、僕自身の宇宙である。
『中国行きのスロウ・ボート』 「僕」の名言
僕の放浪は地下鉄の車内やタクシーの後部座席で行われる。僕の冒険は歯科医の待合室や銀行の窓口で行われる。僕たちは何処にも行けるし、何処にも行けない。
『中国行きのスロウ・ボート』 「僕」の名言
何もかもが亡び、姿を消したあとに残るものは、おそらく重い沈黙と無限の闇だろう。
『中国行きのスロウ・ボート』 「僕」の名言
誤謬というのはあの中国人の女子大生が言ったように(あるいは精神分析医の言うように)結局は逆説的な欲望であるのかもしれない。
『中国行きのスロウ・ボート』 「僕」の名言
だからもう何も恐れるまい。クリーン・アップが内角のシュートを恐れぬように、革命家が絞首台を恐れぬように。
『中国行きのスロウ・ボート』 「僕」の名言