『走ることについて語るときに僕の語ること』の名言
小説家であり、ひとりのランナーでもある村上春樹が書いたエッセイ『走ることについて語るときに僕の語ること』に収められた名言や心に残る言葉。
真の紳士は、別れた女と、払った税金の話はしない。
村上春樹の名言
サマセット・モームは「どんな髭剃りにも哲学がある」と書いている。どんなつまらないことでも、日々続けていれば、そこには何かしらの観照のようなものが生まれるということなのだろう。僕もモーム氏の説に心から賛同したい。
サマセット・モームの哲学
Pain is inevitable, Suffering is optional.
それが彼のマントラだった。正確なニュアンスは日本語に訳しにくいのだが、あえてごく簡単に訳せば、「痛みは避けがたいが、苦しみはオプショナル(こちら次第)」ということになる。
たとえば走っていて「ああ、きつい、もう駄目だ」と思ったとして、「きつい」というのは避けようのない事実だが、「もう駄目」かどうかはあくまで本人の裁量に委ねられていることである。
あるランナーのマントラ
継続すること - リズムを断ち切らないこと。長期的な作業にとってはそれが重要だ。いったんリズムが設定されてしまえば、あとはなんとでもなる。しかし弾み車が一定の速度で確実に回り始めるまでは、継続についてどんなに気をつかっても気をつかいすぎることはない。
村上春樹の名言
昨日の自分をわずかにでも乗り越えていくこと、それがより重要なのだ。長距離走において勝つべき相手がいるとすれば、それは過去の自分自身なのだから。
村上春樹の名言
腹が立ったらそのぶん自分にあたればいい。 悔しい思いをしたらそのぶん自分を磨けばいい。
村上春樹の名言
正直言って、自分にとくに経営の才覚があるとは、僕にも思えない。失敗したらあとがないから死にものぐるいでがんばった、というだけだと思う。
村上春樹の名言
全力を尽くして取り組んで、それでうまくいかなかったならあきらめもつく。しかしもし中途半端なことをして失敗したら、あとあと悔いが残るだろう。
村上春樹の名言
そして翌年の4月までに長編小説『羊をめぐる冒険』を書きあげた。なにしろあとがないから、持てる力をありったけ注ぎ込んで書いた。持っていない力まで総動員したような気さえする。
村上春樹の名言
村上春樹「瀬古さんくらいのレベルのランナーでも、今日はなんか走りたくないな、いやだなあ、家でこのまま寝てたいなあ、と思うようなことってあるんですか?」
瀬古利彦さん「(なんちゅう馬鹿な質問をするんだという声で)当たり前じゃないですか。そんなのしょっちゅうですよ!」
瀬古利彦さんの名言
筋肉やつきにくく、落ち易い。 贅肉はつき易く、落ちにくい。
村上春樹が通う都内のジムの張り紙
失敗の原因ははっきりしていた。 走り込みの不足、走り込みの不足、走り込みの不足。 これに尽きる。
村上春樹の名言
忙しいからといって手を抜いたり、やめたりするわけにはいかない。もし忙しいからというだけで走るのをやめたら、間違いなく一生走れなくなってしまう。走り続けるための理由はほんの少ししかないけれど、走るのをやめるための理由なら大型トラックいっぱいぶんはあるからだ。 僕らにできるのは、その「ほんの少しの理由」をひとつひとつ大事に磨き続けることだけだ。暇をみつけては、せっせとくまなく磨き続けること。
村上春樹の名言
どんなに走るスピードが落ちたとしても、歩くわけにはいかない。それがルールだ。もし自分が決めたルールを一度でも破ったら、この先更にたくさんのルールを破ることになるだろうし、そうなったら、このレースを完走することはおそらくむずかしくなる。
村上春樹の名言
それはやるだけの価値のあることだ(少なくともやらないよりはやった方がずっといい)と信じている。そして、ずいぶん平凡な見解ではあるけれど、よく言われるように、やるだけの価値のあることには、熱心にやるだけの(ある場合にはやりすぎるだけの)価値がある。
村上春樹の名言
そこにいたるために、しつこく、厳しく、そして我慢強く、個別パートのねじが締められていく。もちろん時間はかかる。しかしある場合には、時間をかけることがいちばんの近道になる。
村上春樹の名言
雑誌『NUMBER』の企画<100人が語るRUN!特集>
村上春樹へのQ&A 「そうだ、ランナー村上さんに聞いてみよう」
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