『グレート・ギャツビー』を書いたF・スコット・フィッツジェラルドのペニス
『グレート・ギャツビー』を書いたF・スコット・フィッツジェラルドのペニスが人並みはずれて小さかったという俗説の誕生には、アーネスト・ヘミングウェイの『移動祝祭日』がおおいに寄与している。
しかし、アーノルド・ギングリッチが1935年にある事情でフィッツジェラルドのペニスをチラッと見たとこによると、それは決して小さくなかったらしい。
村上春樹の古いエッセイ『’THE SCRAP’ 懐かしの一九八〇年代』に載っている話をまとめるとこういうことになる。
なんだかまるで歴史上に起こった重大な事件みたいですね。
フィッツジェラルドが亡くなったのは1940年。なのになぜそんな昔のことが、それもよりによってペニスの話題が70年以上の時を経て今だ語り継がれなければならないのか。
結論
フィッツジェラルドは『グレート・ギャツビー』を書いた。
(この場合、書いてしまったという方がより正確な表現かもしれないけれど)。
村上春樹にとって最も重要な作品はフィッツジェラルドの『グレート・ギャツビー』。
この事実によって、村上春樹はフィッツジェラルドという作家に強い関心を持ったと考えられるし、巡り巡って『’THE SCRAP’ 懐かしの一九八〇年代』の中でフィッツジェラルドのペニスについて言及した。
もし仮にフィッツジェラルドが『グレート・ギャツビー』を書いていなければどうなっただろう?
村上春樹にとっての『グレート・ギャツビー』はフョードル・ドストエフスキーの『カラマーゾフの兄弟』に取って代わったかもしれない。そして、フィッツジェラルドのペニスに代わって、ドストエフスキーの性癖が語られていたのかもしれない。
そう考えると、偉大な作品を残すということはタフな仕事なんだなあ、とも感じる。
死してなおペニスの大きさ(人並みはずれて小さかった大きさ)が流布されるのだから。