「現代のベートーベン」改め「偽ベートーベン」から見る教訓的な話
村上春樹のエッセイ『村上朝日堂の逆襲』にある「教訓的な話」という話。
これは「どんな些細なことからでも何かしらの教訓を得られるよね」という意味合いの話なんだけど、ひとつの具体的事例として、村上春樹がある編集者から聞いたエピソードが載っている。
そのエピソードというのは、ジャズ好きの編集者がひとりの高名なジャズ評論家に前衛ジャズミュージシャンの演奏テープを聴いてもらった時のこと。
大まかな流れを会話形式で記載するとこんな感じです。
編「前衛ジャズのテープがあるんですけど、よかったら聴いてくれませんか?」
評「どれどれ」
編「これなんですけど」
評「うん、君、これは良いよ。最高だよ」
編「(あっ!テープの再生速度が間違ってる)すいません、スピードを間違えました」
評「君は僕を馬鹿にしているのか!」
編集者と評論家のこのやりとりから村上春樹が教訓に思ったことを挙げている訳ですが、詳しくは『村上朝日堂の逆襲』を読んでみてください。
で、こんな風に村上春樹が教訓に思ったことを挙げているのが面白そうだったので、僕も具体例を使って真似てみることにしました。
実例は「現代のベートーベン」から「偽ベートーベン」になってしまった話題のあの人。
以下が「現代のベートーベン」改め「偽ベートーベン」から見た教訓的な話。
- 世の中は広いので、障害を持っている人や震災で傷ついた人を食い物にする不逞の輩も存在する。
- 評論家の言うことを鵜呑みにしちゃダメだ。自分の目で物事を見る力を養おう。
- 自分が良い(音楽だ)と思ったら、他人が何を言っても気にする必要なんてない。
- 嘘はいつかばれる。嘘をつき通す覚悟がないなら、始めから嘘をつくのはやめよう。
- 嘘をつくと決めたら、何があろうと最後の最後まで嘘をつき通す。
- 一度でも信頼を失うと、それを回復することは大変だ。
- 人には向き不向きがある(音楽で人を感動させることはできなかったけれど、その演技は多くの人を騙せたし、会見では笑いを取ることができた)。
- 天国のベートーベン「名誉毀損で訴えます!」
- 「こういう大人にだけは絶対になりたくない」と、未来を担う子供達が感じられた。
- いくら言葉を並べたところで、聞いている相手にはちゃんと伝わってしまう。
- 全聾(ぜんろう)じゃなかったのだから、本人だけは本当に幸せ者だ。
明日、3月11日で東日本大震災から丸3年。
首都圏に住んでいる僕はあの頃「東北の人が頑張っているんだから、俺は俺ができることを頑張ろう」と思った。
村上春樹はカタルーニャ国際賞の受賞スピーチで東日本大震災と原発について語った。
「偽ベートーベン」はいったい何を思ったんだろう?