
1949年1月12日(裏誕生日7月12日)水曜日、村上千秋(京都のお寺の息子)・美幸(船場の商家の娘)の長男として京都市伏見区(※神戸近郊説)に生まれる。丑年、山羊座のA型。
2〜3歳時に家の前の川に落ち流され、もう少しで暗渠に入るところを助けられる。その時の暗闇が最初の記憶として残る。
1955年、兵庫県立西宮市立香櫨園小学校に入学。教育者の家庭でわりに厳しく育てられる。
1961年、芦屋へ転居。兵庫県立芦屋市立精道中学校に入学。1年生の時に読んだスタンダールの『赤と黒』に感動を覚える。また、トルストイ、ドストエフスキーなどのロシア文学に特に魅かれる。
14歳の1月、アート・ブレイキーとジャズ・メッセンジャーズのライブを神戸で聴きジャズに狂い始める。
1964年、兵庫県立神戸高校卒業に入学。2年生の時に新聞部の編集長に就任。辞書を片手にアメリカの小説を読みふける。最初にペーパーバックで読んだのはロス・マクドナルドの『マイ・ネーム・イズ・アーチャー』。他に、エド・マクベイン、レイモンド・チャンドラー、スコット・フィッツジェラルド、カート・ヴォネガットなど。
1969年、早稲田大学文学部へ入学、目白の私立寮「和敬塾(経営者は札つきの右翼で、寮長は陸軍中野学校出身の気味の悪いおっさん)」で約半年過ごした後退塾。
1971年、陽子さんと学生結婚、陽子さんの実家である文京区千石の寝具屋に居候する。
1974年、国分寺にジャズ喫茶「ピーター・キャット」を開店。
1975年、早稲田大学文学部演劇科卒業。卒業論文は「アメリカ映画における旅の思想」(『駅馬車』から『2001年宇宙の旅』にいたるまで、アメリカ映画の発達とテーマは人と物の移動にある、という論旨)。
1978年4月1日午後1時半頃、場所は神宮球場、寝ころんでビールを飲みながら観戦していた対広島戦でヤクルト先頭バッターのデイブ・ヒルトンがヒットを放ち二塁ベースへ到達した瞬間、「そうだ、小説を書いてみよう」と思い立つ。
「ピーター・キャット」(1977年に千駄ヶ谷に移転。後に仕事をするイラストレーターの安西水丸や和田誠と出会う。)を経営のかたわら『風の歌を聴け』を執筆。最初はリアリズムの文体で書くも、全然面白くないという思いから現在の文体へ変更。カート・ヴォネガットやリチャード・ブローティガンの影響の入ったこの作品は第22回群像新人文学賞を受賞(選考委員は吉行淳之介、丸谷才一、他
)。
装幀は『ガロ』の頃からファンであった佐々木マキ。
大森一樹監督により映画化(出演:小林薫)をされる。
『風の歌を聴け』に続く物語(方向性)が必要だという思いから『1973年のピンボール』を執筆。『1973年のピンボール』は『風の歌を聴け』と同じく、芥川賞の候補であり、また夜中に台所で書かれた小説。
芥川賞候補になってしまったことによる周囲の煩わしさから、『1973年のピンボール』の芥川賞選考会当日は講談社の人と新宿の住友ビルで賭け麻雀をしていた。結果は1万5千円の負け。
また、『1973年のピンボール』から短編『双子と沈んだ大陸』が生まれた。
『街と、その不確かな壁』を執筆。
村上龍の『コインロッカー・ベイビーズ』を、村上龍の『コインロッカー・ベイビーズ』を読んだ後、店を閉め千葉県船橋市へ転居。専業作家として『羊をめぐる冒険』を執筆。第4回野間文芸新人賞受賞。『羊をめぐる冒険』を書き終えた後に煙草をやめ、代わりにランニングを始める。
五木寛之と対談。
中上健次を対談。
1984年8月、『街と、その不確かな壁』を発展させる形で『世界の終りとハードボイルド・ワンダーランド』の執筆に取り掛かり、翌年の36才の誕生日に書き終える(完成は同年3月)。第21回谷崎潤一郎賞受賞。
1986年、『西風号の遭難』で第9回絵本にっぽん賞特別賞を受賞。
1986年末、ギリシャのミコノス島で『ノルウェイの森』を書き始め、翌年の春にローマで書き終える。『ノルウェイの森』は短編『螢』を発展させる形で書かれており、また、短編『ファミリー・アフェア』を書いた手応えにより、登場人物のひとりである小林緑を描くことができた。
『ノルウェイの森』というタイトルについては、「どういうタイトルがいいかな」と奥さん(村上陽子さん)に尋ねたところ、「『ノルウェイの森』でいいんじゃない」との返答があり最後の最後ようやく決定した(この時まで村上陽子さんはビートルズの『Norwegian Wood』を一度も聴いたことがなかった)。ちなみに、『Norwegian Wood』は『Knowing she would』の語呂あわせから生まれた(らしい)。
「100パーセントの恋愛小説です」というコピーを帯に載せ売り出される。
『ノルウェイの森』の翌年(1987年12月〜1988年3月)、『ダンス・ダンス・ダンス』を執筆。村上春樹が長編を書くペースとしてはインターバルが異常に短い。理由として、リアリズムで書かれた『ノルウェイの森』から村上作品本来の物語性へ戻ること、40才になる前にもうひとつまとまった仕事をしようと思ったこと、そして何より単純にこの小説が書きたかったことがあげられる。『ダンス・ダンス・ダンス』で本当に書きたかったのは羊男のこと。
以下、「「自作を語る」羊男の物語を求めて」より。
「ある意味では、羊男はずっと僕の心の中に住んでいた。僕は『羊をめぐる冒険』を書き終えたあとでもよく羊男のことを考えた。いるかホテルの暗い部屋の中に今でもひとりでひっそりと生きているであろう羊男のことを。羊男はそこで今いったい何をしているのだろう。そして羊男とは僕にとっていったい何だったのだろう、と。」。
1991年、プリンストン大学アジア研究部客員研究員となる。
湾岸戦争によってアメリカのナショナリズムが高揚するなかで『ねじまき鳥クロニクル』を書き始める。小説の出だしは短篇小説『ねじまき鳥と火曜日の女たち』。
プリンストン大学の図書館にあったノモンハン事件に関するいくつかの書物を読む過程で、この戦争(ノモンハン事件)を小説の軸のひとつにすることを決める。
『ねじまき鳥クロニクル』からAppleのパソコンにより執筆が行われる。
1996年、『ねじまき鳥クロニクル』で第47回読売文学賞受賞。
『ねじまき鳥クロニクル』の一部は切り取られ、新たに『国境の南、太陽の西』として生まれ変わる。
1998年、『約束された場所で-underground(2)』で桑原武夫賞受賞。
『スプートニクの恋人』を執筆。『スプートニクの恋人』は『羊をめぐる冒険』や『ねじまき鳥クロニクル』と同様に、タイトルが先に決定してから書かれた小説。
ある日に書いた「22歳の春にすみれは生まれて初めて恋に落ちた。広大な・・・・・・中略・・・・・・それがすべてのものごとが始まった場所であり、(ほとんど)すべてのものごとが終わった場所だった。」という冒頭にある文章から生まれた。
『世界の終りとハードボイルド・ワンダーランド』の続編を書こうという思いから『海辺のカフカ』の執筆が企画される。『世界の終りとハードボイルド・ワンダーランド』から相当な時間を経ていたため物語に直接的な結びつきはないが、『世界の終りとハードボイルド・ワンダーランド』と『海辺のカフカ』双方には「森」が登場する。
2006年、チェコのフランツ・カフカ賞、アイルランドのフランク・オコナー賞を受賞。
2009年、イスラエルのエルサレルム賞を受賞。『真昼の決闘』のゲーリー・クーパーになったような気分でエルサレムへ向かい、「Of Walls and Eggs / 壁と卵」のスピーチを行う。
『1Q84』。
2010年12月11日、映画『ノルウェイの森』が日本公開。
2011年6月、スペインのカタルーニャ国際賞を受賞。
趣味は翻訳、定期的な引っ越し。
翻訳者として、スコット・フィッツジェラルド、レイモンド・カーヴァー、レイモンド・チャンドラー、トルーマン・カポーティ、J・D・サリンジャー他の作品を翻訳。
アイドルはドアーズのジム・モリソン。
服装はバナナ・リパブリック、GAP、高くてラルフ・ローレン。年に2回、がんばってコム・デ・ギャルソンに行く。
極端な中華料理アレルギー
何度も繰り返し見た映画はジョン・フォード『静かなる男』、ドナルド・シーゲル『突撃隊』、ジョン・ランディス『アニマル・ハウス』。
・・・・・・随時加筆修正中。
スペインでも『羊をめぐる冒険( La caza del carnero salvaje )』や『世界の終りとハードボイルド・ワンダーランド( El fin del mundo y un despiadado pais de las maravillas )』、『ノルウェイの森( Tokio blues )』、『ねじまき鳥クロニクル( Cronica del pajaro que da cuerda al mundo )』、『海辺のカフカ( Kafka en la orilla )』、『1Q84』など、他にもたくさんの村上作品が翻訳されている。
そんなスペインで、・・・・・・
| 長篇 | 短篇 | エッセイ・翻訳他 | |
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