村上春樹

  • ギリシャでの「初」マラソンの後、タヴェルナでくつろぐ村上春樹
  • ボードゲームに興じる村上春樹
  • ボストンマラソンを走る村上春樹
  • モンゴルの草原、ノモンハン事件の跡地を訪れた村上春樹
  • 1990年頃、インタビューを受けている村上春樹
  • Haruki Murakami - Kafka on the Shore
  • 村上春樹&カット・メンシック

YouTube村上春樹動画

村上春樹はノーベル文学賞候補に挙げられる日本を代表する小説家。

1949年1月12日の水曜日(裏誕生日7月12日)、ともに国語教師の村上千秋(京都のお寺の息子)・美幸(船場の商家の娘)の長男として京都市伏見区(※神戸近郊説)に生まれる。丑年、山羊座のA型。
もの心つく前に西宮市夙川へ引っ越し。
2~3歳時に家の前の川に落ち流され、もう少しで暗渠に入るところを助けられる。その時の暗闇が最初の記憶として残る。

1955年、秋になると、けっこう大きなまつたけが入った「まつたけうどん」が給食に出た兵庫県立西宮市立香櫨園小学校に入学。教育者の家庭でわりに厳しく育てられる。
1961年、芦屋へ転居。兵庫県芦屋市立精道中学校に入学。1年生の時に読んだスタンダールの『赤と黒』に感動を覚える。また、トルストイ、ドストエフスキーなどのロシア文学に特に魅かれる。
14歳の1月、アート・ブレイキーとジャズ・メッセンジャーズのライブを神戸で聴きジャズに狂い始める

1964年、兵庫県立神戸高校に入学。2年生の時に新聞部の編集長に就任。辞書を片手にアメリカの小説を読みふける。最初にペーパーバックで読んだのはロス・マクドナルドの『マイ・ネーム・イズ・アーチャー』、また、カート・ヴォネガットの『猫のゆりかご』を読んで「ワオ!」と思う。他に、エド・マクベイン、レイモンド・チャンドラー、スコット・フィッツジェラルドなど。

1969年、1年間の浪人を経て早稲田大学文学部演劇科へ入学。上京後3日で標準語を完璧にマスター。
目白の私立寮「和敬塾(経営者は札つきの右翼で、寮長は陸軍中野学校出身の気味の悪いおっさん)」で約半年過ごした後退塾。
シナリオ・ライターになりたいという思いからシナリオ研究会に入るも短期間でやめ、その後は大学の演劇博物館に入りびたりシナリオを読み、年間200本以上の映画を観る生活を送る。
学園紛争に個人的に興味を持ち、出入りがあると石を投げたり殴り合いを行うが、組織で何かやるようなことは不純だという思いからバリケードやデモには参加しなかった。ジャズ喫茶に行き暗いところでコーヒーを飲みながら大江健三郎吉本隆明を読むことが正統な時代に、村上春樹はピット・インでジャズを聴き、名画座をまわり、ピンボールをするという異端的な過ごし方をする。

1971年、大学時代の二人の友人のうちの一人である陽子さんと学生結婚。結婚の理由は、大学3年になり同棲を始めるが同棲が嫌いだったこと、一人っ子で育ち家に親しかない従属的な環境から早く自分の世界を持ちたいという思いによる。結婚と同時に陽子さんの実家である文京区千石の寝具屋に居候する。

1972年頃より、昼はレコード屋、夜は喫茶店でアルバイトをし、村上春樹と陽子さんの二人で2年間で250万円を貯金。更に銀行から250万円を借り、国分寺に念願のジャズ喫茶「ピーター・キャット(19坪)」を1974年に開店(キース・ジャレットのレコードはなく、ジョン・コルトレーンのレコードもあまり置いてないけど、クロード・ウィリアムソンのレコードが揃っていて、スタン・ゲッツのコレードが沢山ある)。
スペイン風の白い壁、木製テーブルと椅子が品よくレイアウトされた「ジェイズ・バー」を彷彿とさせるたたずまいだった。

1975年、早稲田大学文学部演劇科を卒業。卒業論文は「アメリカ映画における旅の思想」(『駅馬車』から『2001年宇宙の旅』にいたるまで、アメリカ映画の発達とテーマは人と物の移動にある、という論旨)。「卒論を書くのなんてイヤでしかたない」という思いから3日間ででっちあげて卒論を書くも成績は「特優」をもらう。

1978年4月1日午後1時半頃、場所は神宮球場、寝ころんでビールを飲みながら観戦していた対広島戦でヤクルトスワローズ先頭バッターのデイブ・ヒルトンがヒットを放ち二塁ベースへ到達した瞬間、「そうだ、小説を書いてみよう」と思い立ち、万年筆と原稿用紙を買ってきて書き始める。
「ピーター・キャット」(1977年に千駄ヶ谷に移転、後に仕事をするイラストレーターの安西水丸や和田誠と出会う)を経営のかたわら『風の歌を聴け』を、スコット・フィッツジェラルドの言葉を時に励みに執筆。小説のタイトルはトルーマン・カポーティの短篇の一節「何も思うまい。ただ風にだけ心を向けよう」から名付けられる。
最初はリアリズムの文体で書くも、全然面白くないという思いから現在の文体へ変更。プロ野球の優勝が決まる頃に書き終わり、神宮前郵便局へ持っていき応募をする。
1979年6月、カート・ヴォネガットやリチャード・ブローティガン(ともに村上春樹の大学時代のヒーロー)の影響の入ったこの作品は第22回群像新人文学賞を受賞(選考委員は吉行淳之介丸谷才一島尾敏雄佐々木基一佐多稲子 )。授賞式には青山のVANのバーゲンで買ったオリーブ色のコットン・スーツに白いテニスシューズを履いて出席し、「これから何か新しい人生が始まるんだなあ」という思いに至る。受賞の賞金で猫を購入。
装幀は村上春樹が『ガロ』の頃からファンであった佐々木マキ(本人曰く「佐々木マキは僕にとっては永遠の天才少年である」とのこと)。
芦屋市立精道中学校の三年後輩に当たる大森一樹監督により映画化(出演:小林薫、真行寺君枝、巻上公一、室井滋、他)をされる。

『風の歌を聴け』に続く物語(方向性)が必要だという思いから『1973年のピンボール』を、「ちきしょう」とか「くそ」とか悪態をつきながら執筆。
『1973年のピンボール』は『風の歌を聴け』と同じく、芥川賞の候補であり、また夜中に台所で書かれた小説。
芥川賞候補になってしまったことによる周囲の煩わしさから、『1973年のピンボール』の芥川賞選考会当日は講談社の人と新宿の住友ビルで賭け麻雀をしていた。結果は村上春樹が1万5千円の負け。
また、『1973年のピンボール』から短編『双子と沈んだ大陸』が生まれた。

『1973年のピンボール』が芥川賞の候補になった影響から、他人に勧められる形で『街と、その不確かな壁』を文學界に執筆。
けれど、小説を書きたい時に書く、という村上春樹の執筆スタイルとは明らかに異なっていた為、『世界の終りとハードボイルド・ワンダーランド』の原型となる『街と、その不確かな壁』は、本人曰く「失敗」、「後悔している」、「自己嫌悪になった」、「(この作品を)一切表に出す気はない」という形で終結。

村上龍が『コインロッカー・ベイビーズ』を書く前と書いた後の2度対談を行い、『コインロッカー・ベイビーズ』を読んだ後、儲かっていたジャズ喫茶(「どんなオン・ザ・ロックにも哲学はあるのだ」と思いながらオン・ザ・ロックを作っていた)を閉め千葉県船橋市へ転居。
専業作家として『羊をめぐる冒険』を、時に村上龍という存在(ライバル)を強い励みに執筆。執筆開始時点では「オープニングは三島由紀夫が死んだところから始める(1970年11月25日)」、「羊を出す」、「最後は海岸で終わる(埋め立てられた故郷の海を見てその思いに至る)」の3つしかなかった。
第4回野間文芸新人賞受賞。
『羊をめぐる冒険』を書き終えた後、1ヶ月間仕事をしないでいいようにセッティングする形で煙草をやめ、代わりにランニングを始める。それまでは、1日約60本の煙草を吸っていた。

五木寛之と対談。中上健次と対談。

1984年8月、『街と、その不確かな壁』を発展させる形で『世界の終りとハードボイルド・ワンダーランド』の執筆に取り掛かり、翌年の36才の誕生日に書き終えるも、第一稿を読んだ陽子さんから「ひどいから書き直せ」と言われ、一週間徹夜をして改稿。同年3月に完成。
第21回谷崎潤一郎賞受賞(選考委員?は大江健三郎吉行淳之介丸谷才一丹羽文雄)。

1986年末、ギリシャのミコノス島で『ノルウェイの森』を書き始め、翌年の春にローマで書き終える。
『ノルウェイの森』は当時、村上春樹の担当をしていた講談社の木下さんが発したひと言(「『螢』をもっと長くして書いたらどうですか。あれが好きだからもっと長く読みたい、続きが読みたい」)がきっかけで、短編『螢』を発展させる形で書き始められた。また、短編集『回転木馬のデッド・ヒート』に収められた短編によってリアリズムを書く訓練をしたことが『ノルウェイの森』執筆に大きく影響し、短編『ファミリー・アフェア』を書いた手応えにより登場人物のひとりである小林緑を描くこともできた。
『ノルウェイの森』というタイトルについては、「どういうタイトルがいいかな」と陽子さんに尋ねたところ、「『ノルウェイの森』でいいんじゃない」との返答があり最後の最後ようやく決定した(この時まで陽子さんはビートルズの『Norwegian Wood(ノルウェーの森)』を一度も聴いたことがなかった)。ちなみに、ビートルズの『Norwegian Wood』『Knowing she would』の語呂あわせから生まれた(らしい)
100パーセントの恋愛小説です」というコピーを帯に載せ売り出される。

『ノルウェイの森』の翌年(1987年12月~1988年3月)に『ダンス・ダンス・ダンス』を執筆。村上春樹が長編を書くペースとしてはインターバルが異常に短い。理由として、リアリズムで書かれた『ノルウェイの森』から村上作品本来の物語性へ戻ること、40才になる前にもうひとつまとまった仕事をしようと思ったこと、そして何より単純にこの小説が書きたかったことがあげられる。『ダンス・ダンス・ダンス』で本当に書きたかったのは羊男のこと。
以下、「「自作を語る」羊男の物語を求めて」より。
「ある意味では、羊男はずっと僕の心の中に住んでいた。僕は『羊をめぐる冒険』を書き終えたあとでもよく羊男のことを考えた。いるかホテルの暗い部屋の中に今でもひとりでひっそりと生きているであろう羊男のことを。羊男はそこで今いったい何をしているのだろう。そして羊男とは僕にとっていったい何だったのだろう、と。」。

1991年、プリンストン大学アジア研究部客員研究員となる。
湾岸戦争によってアメリカのナショナリズムが高揚するなかで『ねじまき鳥クロニクル』を書き始める。小説の出だしは短篇小説『ねじまき鳥と火曜日の女たち』。
プリンストン大学の図書館にあったノモンハン事件に関するいくつかの書物を読む過程で、この戦争(ノモンハン事件)を小説の軸のひとつにすることを決める。
また、作品の一部は切り取られ、新たに『国境の南、太陽の西』として生まれ変わる。
『ねじまき鳥クロニクル』からAppleのパソコンにより執筆が行われる。

スプートニクの恋人』を執筆。『スプートニクの恋人』は『羊をめぐる冒険』や『ねじまき鳥クロニクル』と同様に、タイトルが先に決定してから書かれた小説。
ある日に書いた「22歳の春にすみれは生まれて初めて恋に落ちた。広大な・・・・・・中略・・・・・・それがすべてのものごとが始まった場所であり、(ほとんど)すべてのものごとが終わった場所だった。」という冒頭にある文章から生まれた。

『世界の終りとハードボイルド・ワンダーランド』の続編を書こうという思いから『海辺のカフカ』の執筆が企画される。『世界の終りとハードボイルド・ワンダーランド』から相当な時間を経ていたため物語に直接的な結びつきはないが、『世界の終りとハードボイルド・ワンダーランド』海辺のカフカ双方には「森」が登場する。

2009年、イスラエルのエルサレルム賞を受賞。映画『真昼の決闘』のゲーリー・クーパーになったような気分でエルサレムへ向かい、「Of Walls and Eggs / 壁と卵」のスピーチを行う。
また、エルサレルム賞受賞者にノーベル文学賞の受賞者が数多くいるため、ここ数年は毎年ノーベル文学賞の候補に挙げられる。

2011年6月、スペインのカタルーニャ国際賞を受賞

2013年、客員研究員を務めるハワイ大学マノア校であった「東アジアを旅するテキスト 村上春樹の読まれ方」と題したシンポジウムで講演。

人物像

主な肩書きは梅竹下ランナーズ・クラブ会長、東京するめクラブ隊長、他。
趣味は翻訳、定期的な引っ越し、古いLPレコードのコレクション(守備範囲は主にジャズ)。
アイドルはドアーズのジム・モリソン、レイモンド・チャンドラー。
極端な中華料理アレルギー。一方、うなぎは大好き(幼少の頃は好きではなかった)で、すき焼きもけっこう好き(幼少の頃から好きだった)。昔から甘いものが好きではないが、例外としてドーナツが好き。
何度も繰り返し見た映画はジョン・フォード『静かなる男』、ドナルド・シーゲル『突撃隊』、ジョン・ランディス『アニマル・ハウス』。
猫が好き。これまで飼った猫の名前はピーター、みゅーず、きりん、ブッチ、サンダンス、しまねこ、みけ、スコッティー、くろ、とびまる、など。

村上作品に流れる音楽

村上春樹が翻訳をした作家

スコット・フィッツジェラルド ★レイモンド・カーヴァー ★レイモンド・チャンドラー ★トルーマン・カポーティ ★ J・D・サリンジャー ★アーシュラ・K・ル=グウィン ★ラッセル・バンクス ★デニス・ジョンソン ★ウィリアム・トレヴァー ★ダニエル・ライオンズ ★リンダ・セクソン ★ポール・セロー ★デイヴィッド・フォスター・ウォレス ★イーサン・ケイニン ★アンドレア・リー ★マイリー・メロイ ★デヴィッド・クレーンズ ★トバイアス・ウルフ ★ペーター・シュタム ★ローレン・グロフ ★リュドミラ・ペトルシェフスカヤ ★アリス・マンロー ★ジム・シェパード ★リチャード・フォード、等の作家を翻訳。

YouTubeの仕様の為、一部の動画はスキップしてしまいます(※村上春樹新聞YouTubeチャンネルなら見られるかもしれません)。
  • スペイン語版『世界の終りとハードボイルド・ワンダーランド』
  • 韓国語版『ポートレイト・イン・ジャズ Portrait in Jazz』
  • ヘブライ語版『めくらやなぎと眠る女』
  • 英語版『国境の南、太陽の西』
  • 韓国語版『村上朝日堂』
  • ドイツ語版『ねむり(眠り)』
  • 英語版『アフターダーク』
  • スペイン語版『ねじまき鳥クロニクル』
  • フランス語版『走ることについて語るときに僕の語ること』
  • ヘブライ語版『海辺のカフカ』
  • ドイツ語版『4月のある晴れた朝に100パーセントの女の子に出会うことについて』
  • 韓国語版『1Q84』
Pocket
LINEで送る