村上春樹新聞

『ダンス・ダンス・ダンス』の文化的雪かきとフィジカルとしての雪かき

東京都心50年ぶりの大雪とフィジカルとしての雪かき

『ダンス・ダンス・ダンス』の「僕」。
というのは『風の歌を聴け』『1973年のピンボール』『羊をめぐる冒険』の「僕」のことでもある訳だけれど、その「僕」とユキの父親である牧村拓が雪かきについて会話をしている。
まず「僕」がこう言う。

「穴を埋める為の文章を提供してるだけのことです。何でもいいんです。字が書いてあればいいんです。でも誰かが書かなくてはならない。で、僕が書いてるんです。雪かきと同じです。文化的雪かき」

「僕」は続ける

「今やってることに関しては、好きとも嫌いともいえないですね。そういうレベルの仕事じゃないから。でも有効な雪かきの方法というのは確かにありますね。コツとか、ノウハウとか、姿勢とか、力の入れ方とか、そういうのは。そういうのを考えるのは嫌いではないです」

これについて牧村拓が返す。

「その雪かきという表現は君が考えたのか?」
「俺がどこかで使っていいかな?その『雪かき』っていうやつ。面白い表現だ。文化的雪かき」

さらに牧村拓が言う。

「でも今はそうじゃない。何が正義かなんて誰にもわからん。みんなわかってない。だから目の前のことをこなしているだけだ。雪かきだ。君の言うとおりだ」

『ダンス・ダンス・ダンス』に書かれているこの「文化的雪かき」はけっこう印象的な表現で、「村上春樹、うまいこと言うなぁ」なんて思いながら頭の片隅で雪かきを想像しながら、以前、読んだことがある。

でも、いざ実際にフィジカルとしての雪かきをしてみると、その言葉の響き方はちょっと違う。
2014年2月8日、東京都心には50年ぶりの大雪が降り、翌日は大勢の人が雪かきに追われた。ご多分に漏れず、僕も朝早くから2時間半も雪かきをした。
おかげ様で、手のひらには力が入らず、腰のあたりにも筋肉痛の気配がある。

大雪の日には家に籠って『ダンス・ダンス・ダンス』を読み、翌日に雪かきをする。
もしよかったら今度、大雪が降った日に試してみてください。
フィジカルとしての読書、けっこうおすすめです!

理由は簡単だった。僕は仕事のよりごのみをしなかったし、まわってくる仕事は片っ端から引受けた。期限前にちゃんと仕上げたし、何があっても文句を言わず、字もきれいだった。仕事だって丁寧だった。他の連中が手を抜くところを真面目にやったし、ギャラが安くても嫌な顔ひとつしなかった。午前二時半に電話がかかってきてどうしても六時までに四百字詰め二十枚書いてくれ(アナログ式時計の長所について、あるいは四十代女性の魅力について、あるいはヘルシンキの街 – もちろん行ったことはない – の美しさについて)と言われれば、ちゃんと五時半には仕上げた。書き直せと言われれば六時までに書き直した。評判が良くなって当然だった。
雪かきと同じだった。
雪が降れば僕はそれを効率良く道端に退かせた。

『ダンス・ダンス・ダンス』より

それはある女性誌のために函館の美味い物を紹介するという企画だった。僕とカメラマンとで店を幾つか回り、僕が文章を書き、カメラマンがその写真を撮る。全部で五ページ。女性誌というのはそういう記事を求めているし、誰かがそういう記事を書かなくてはならない。ごみ集めとか雪かきと同じことだ。だれかがやらなくてはならないのだ。好むと好まざるとにかかわらず。

『ダンス・ダンス・ダンス』より