『スプートニクの恋人』のラストシーン、結末のこと

取扱注意
ここに書かれている文章は『スプートニクの恋人』のラストシーン、結末について語られています。なので、『スプートニクの恋人』をまだ読んでいない人はご注意ください。

という前置きをしたし、タイトルにも同様のことが書かれているので、内容はもちろん『スプートニクの恋人』のラストシーン、結末のこと。

この間、久しぶりに『スプートニクの恋人』を読んで、ラストシーンが変わっていることに気がついた。
と言っても、それは村上春樹が『スプートニクの恋人』をリライトしたという訳ではなく、読んでいるこっち側に何かしらの変化があってラストシーンの捉え方が変わってしまったということ。

昔、5年か10年くらい前のことだと思うけれど、何度か『スプートニクの恋人』を読んだことがある。
物語の中で起こるいくつかの不思議な出来事(すみれがギリシャの島で忽然と姿を消してしまったことや、ミュウがスイスのとある町にある遊園地の観覧車からもうひとりの自分を見たことなど)に対して頭の中にクエスチョンマークを抱えながらも、そこで語られている事象を有りのまま受け入れた。
最後に描かれるすみれからの突然の電話も奇妙な印象はあったけれど、それだって真実だと思った。
そして、読み終わった時に決まってこう思った。
「何があったのかはわからないけど、すみれが無事に戻ってきてよかった」と。

ただ、久しぶりに読んだ『スプートニクの恋人』のラストシーンはこれまでとは別のことを感じさせた。
作中の出来事は今までとおなじように不思議に映った。けれど、それらの不思議な物語を通過して辿り着いた場所は違っていた。
「すみれから電話があった。でも、これはどこに居るすみれから、どこに居る「ぼく」にかかってきた電話なんだろう?すみれは本当に帰ってきたんだろうか?」

以前、ある読者がこの疑問について作者の村上春樹に質問したことがある。
もちろん、村上春樹は明言を避けた。読者の側で判断してほしいということだった。
さて・・・・・

すみれは本当に帰ってきたんだろうか?