ジョン・F・ケネディ「人間は生まれつき不公平に作られている」

80年代に出版されたエッセイ『村上朝日堂の逆襲』に「交通ストについて」という話がある。それによると、村上春樹は交通のストライキ、例えば線路を電車が一本も走っていない、みたいな状況が好きなんだとか。
理由は、「いつもと違ったこと」があると嬉しい、というもの。

こういう気持ちって誰にでも少しはありますよね。
本の中ではストに対する村上春樹の気持ちがもう少し詳しく語られていて、じゃあ「いつもと違ったこと」として「台風が結構好き」と「要人暗殺は愉快だ」はどうなの?みたいな地点にも話が及んでいる。

僕は台風って嫌いではないです。
“目”がはっきりしている大きな台風が海沿いの岸壁を荒々しく洗っている映像を見ると、自然の凄まじい力にドキドキする。それに、台風一過の空は嬉しくなるほど澄んでいて気持ちいい。
でも、台風によって農作物を育てている人が困ったり、住んでる家が倒壊してしまう人がいたり、誰かが亡くなったりすることを考えると、やっぱり好きとはいえない。
「昨日の台風は本当にすごかったね」と、青空の下みんなで楽しく会話できたらいいけど、そんなことは絶対にないから。

一方で要人暗殺は好きです。
愉快だとは思わないけれど、好きなのは間違いない。
例えば、ジョン・F・ケネディの暗殺。
ケネディ大統領の暗殺って既に「悲しい出来事」から「謎に充ちた出来事」にジャンルが変更されているように思う。暗殺された当時は歴史が作られたのかもしれないけれど、今では映画やドキュメンタリー番組が作られてしまっているし。
昨日、今日の話だと生々しくて耐えられないけれど、時間が経過してしまった死はエンターテインメントになってしまうのかもしれない。

ケネディといえば・・・・・という訳で、ここからが本題です。
『風の歌を聴け』の中で、が書こうとする小説の一節(鼠と女の会話)が、ケネディの言葉とともに紹介されている。

「僕が死ねばいいと思った?」
「少しね。」
「本当に少し?」
「・・・・・・忘れたわ。」
二人はしばらく黙った。鼠はまた何かをしゃべらなければならないような気がした。
「ねえ、人間は生まれつき不公平に作られている。」
「誰の言葉?」
「ジョン・F・ケネディ」

僕は『風の歌を聴け』を初めて読んだ頃、「人間は生まれつき不公平に作られている」というジョン・F・ケネディの言葉に対してこう思っていた。
僕は悲しくも一般人であり、
ケネディは恵まれた環境に生まれた幸運な人である。

ただ、最近になって、その解釈の仕方が変化してきた。
僕は嬉しくも一般人であり、
ケネディは暗殺される可能性もある不運な人である。

ケネディ大統領だって、暗殺されて英雄や伝説になるなんて、これっぽっちも望んでなかっただろうに。でも、人間は生まれつき不公平に作られているから、ケネディは暗殺される憂き目にあってしまった。

「セックス・シーンが無いこと」と「一人も人が死なないこと」という二つの美点を持つ鼠の小説(もしくは『風の歌を聴け』)のこの一節は、何だかちょっと切ない。